伊豆誌

武器の道は交易の道


古来武器の道は交易の道である。青銅器、鉄器しかり・・・それ以前では如何だったのだろうか?石器時代から鉄器が生まれそれが安価に普及するまでは、鏃(やじり)として黒曜石が広く使われていた。黒曜石は捕まえた獲物の解体にもナイフとして使われ石器時代の人々にとっては重要なものであったようだ。

黒曜石は全国で50箇所ほどの産地があるようであるが、代表的な産地は、長野県和田峠、北海道そして我が伊豆半島の天城などが上げられるという。またもっとも質のよい黒曜石の産地である神津島の黒曜石が紀元前2万年前の後期石器時代の南関東の遺跡より発見されている。と言う事は伊豆は、黒曜石を交易していた可能性が非常に高い。黒曜石の交易ルートとして知られるようになったルートは神話の世界にも取り入れられることになる。伊豆七島から伊豆半島へのルートは古代において非常に重要だったわけなのだ。

交易に使われたのは

伊豆半島の中心を流れる川に狩野川がる。狩野は軽野が語源とも言われているが伊豆市の狩野川沿いの丘に軽野神社と言う神社がある。やはり延喜式に列せられる古社だか軽野神社縁起によれば『日本書紀』に、応神天皇五年(274)十月、伊豆国に命じて船を造らせた。長さ十丈の船が出来た。試しに海に浮かべてみると、軽くて、走るように進んで行く。よって、その船を「枯野」と名付けたとある。狩野川流域に豊富にある良質の船材・楠等の巨木があり、「枯野」を造りうる環境は整っている。神社の説明によれば「枯野」→「軽野」→「狩野」ではあるのだが私個人としては「カヌー」→「狩野」→「軽野」→「枯野」ではないかと思うのだ。海に近いとはいえ全くの山の中大きな船を作る能力の持つ人々がもともと住んでいたとは考えづらい。歴史ロマンとして想像することをお許しいただけるのであれば遠く南の島からカヌーをつかって島伝いに北上してきた民は黒曜石や玉を求めていた。その民には優れた造船技術と金山技術があった(海の民の多くが石工の技術を持っている)造船に使う巨木と価値のある石をを求めていたその民は狩野川という大きく流れが緩やかで巨木のある上流まで簡単にさかのぼれる川を見つけて定住する。狩野川周辺には古墳が多数発見されている。そこでは最新鋭の船が作られ都にまで遠く聞こえた。応神天皇は長さ30メートルを超える舟を作らせた。その舟は作った民たちから「枯野」と呼ばれた。現在カヌーと言う言葉は東南アジア、ポリネシアでは聞かないようだがヌーとかノーは舟を意味する古代語として知られているノー、ナオ、ネブがネイビーなどの英語の語源ともされるのだが。カヌーの語源が伊豆にあったとしたらそれはそれで楽しいのかもしれないが・・・
とにかく交易には舟が必要であった事は間違いないのだが、その舟を造り操れる民が古くから伊豆にいたことは間違いないのだ。

出雲でも広く交易?

出雲は伊豆と深く係わり合いのある場所であるが。やはり出雲も黒曜石の交易をしていたような気がする。なぜなら出雲の黒曜石は壱岐産の物と決まっているのであるが、壱岐産の黒曜石は中国、朝鮮、ロシアなどでも発掘されているのだ。非常に大きな交易力がない限りそこまでは運べない。つまり壱岐の産地の国力では無理で出雲のような大きな国力の有る組織で無いと無理ではないかと思うのだ。
そこには航海の技術はもとより造船の技術があったとする方が論理的である。そこには出雲と同じ祭神を祭る三島大社(言代主)のつながりが見えてくるような気がする。
又一部の学者の中では伊豆→出る(いづる)の転化、出雲→いづ喪で出雲で国譲りをして喪に服した出雲一族は伊豆にて復活するとする説を唱える人もいるという。

三島大社と伊古奈姫

伊豆一ノ宮は三島大社という。三島は御島でありそもそも伊豆の火山の神を祭ったものであると思われるが、三島大社の祭られる神は言代主と山の神大山祇神の二柱で、三島大明神は最初三宅島にお妃の伊古奈姫と降り立ち神津島を経て下田の白浜へ上陸され、(現在の白浜神社)そこから田京の廣瀬神社へ移り、そこから現在の三島大社の場所に移ったと伝えられる。それはまさしく黒曜石の交易ルートではなかったかと思われる。もっとも古い組合がフリーメイスンのように石工組合であったように黒曜石を扱う人々は日本でも最も古い組織(国)を持ち、次第にメノウなど宝石としての石の加工へ移っていったと考えるのは非常に考えやすいと思う。そういえば数少ない玉造神社が伊豆半島の付け根沼津の香貫山麓にも有る。言い伝えによればもともとは玉造部一族の集落跡と言われているようだが。又三島大社の宮司は代々矢田部氏で物部氏の流れの名家で、物部氏と言えば天皇家の中でも武器を取り扱う家でその流れには石に関係のある石上氏もいる。延喜式神社全国492社のうち伊豆には92社が集中している。地域的に見ると大和、伊勢、山城、尾張についでの多さとなり、この多さも少し異常だと思う?やはり伊豆は只者ではないと思うのだ。
三島大社の奥様の一人の伊古奈姫は白浜神社に祭られているが、なぜ一緒に三島大社まで来なかったのだろう?正式な奥様を置いてくるのは旅の途中そこでなくなったとか特殊な事情があるとしか思えないが、ところで当館の名前にも使われているように古くから当地には古奈という地名があり伊古奈姫と何らかのつながりがある気がして仕方がない。言代主が三島の地に祭られる為、地を譲られるときにここは間違いなく富士山の地であった。(三島大社の地は富士山の流れ出した溶岩の上にある)。そこに言代主が祭られることには富士のご祭神である木花咲耶姫との了解が得られなかればならずそのために富士から見えない白浜神社に奥様を残してきたのではと思うのだ。太古より富士は多くの噴火をしており、その怖れの大きさが故信仰を多く集めてきた怖い神なのだ。ゆえに人々は細心の注意を払って言代主を祭ったと思うのだが。また妻との逢瀬の為に用意され、使われたのが古奈の地ではなかったなどと思うのはちょっと考えすぎか?

貸切露天と海鮮懐石の宿 伊古奈荘